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福原のソープ街は遊郭の名残だったのか

兵庫県神戸市にある福原は歓楽街として有名ですが、この歓楽街にある福原柳節はソープ店が密集しており、ソープを利用する男性客が行き交う街になっています。福原町は風俗を好む男性からは吉原、島原に次ぐ遊郭跡地で現在でもこの3つの風俗街はソープが非常に盛んな街として三ワラと呼ばれるほどポピュラーなエリアになっているのです。この福原町はかつて福原遊郭が存在し、華やかな街だったと言われています。明治元年から発足した福原遊郭ですが発足から終幕までの歴史を辿ってみたいと思います。福原遊郭は明治元年に地元の有力者の発案により設立されたと言われています。江戸時代に日米修好通商条約をアメリカと締結したことによって兵庫が条約港として開港したことにより、当時ではアメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデン、イタリア、清(中国)から日本へ輸出や商売をする為に神戸港に訪れる外国人が多かったと言います。その為、外国人でも日本に住めるように外国人居留置が設置された。設置されたことにより、ますます外国の文化が流れ込み神戸には西洋の建物と日本の建物が入り混じる独特な建造物が出来るなど、西洋と和が混同する街へ変貌しました。時代は流れ江戸時代が終わり、明治に入った頃に地元の有権力者が集まり、娯楽の一環として劇場や遊郭を設立するように街に申請し、明治元年に福原に兵庫初の遊郭が誕生したのです。この遊郭は江戸時代のような風貌ではなく、和と西洋が織り交ざった建物をお店とし、その建物の前で男性客を待ち受けるスタイルであったとされます。女性の服装は着物を着ている場合もありますし、西洋の羽織を着ている遊女も居たようで、国際港としてどんどん新しい文化が入ってきている神戸特有の姿をその当時は見れていたのです。その当時から神戸で最も人気のある街として名を馳せており、特に男性からの支持が多く、遊郭の重要性や人気ぶりが非常に顕著に出ていたとされています。当時の福原は今で言うソープ店だけのお店だけではなく、料理屋や喫茶店、カフェや茶屋や芸子置屋と現代で言うラブホテルのような、部屋を貸してくれる席貸もあり、福原は男性のみならず女性にも人気な街で賑わっていたとされます。明治から昭和中期の第二次世界大戦が終わる頃まで神戸の代表的な歓楽街であり、多くの人がこの歓楽街に訪れていました。そういった名残があり現在でも福原にソープ店が残っており、多くのソープ店を楽しめる歓楽街としても有名になっていったのです。

[ 2016-02-03 ]

カテゴリ: ソープ体験談

福原 ソープ

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